たのきゅうと とうげの あかり
むかしむかし、東の国と西の国のあいだに、五色とうげという高いとうげがありました。ひとつこえるのに朝から夜までかかる、それはそれは長い山道です。そのころ、たのきゅうという、たびやくしゃがおりました。せはひくく、力もなく、けんかはからきしでしたが、しばいをさせれば右に出る人はありません。こしのまがったおばあさんにもなれば、わかいむすめにもなり、まくが下りるころには、見ていた人がみな、そこにほんとうにその人がいたと思うのでした。
たのきゅうには、年おいたししょうがおりました。ししょうは、なくなる前にふたつのものをのこしました。ひとつは、べにとおしろいの入ったけしょうばこ。もうひとつは、古いたばこいれです。「にげるより、なってごらん」とししょうは言いました。「おそろしいものに会うたらな、せなかを見せるより、そのあいての気もちになってみるのじゃ」そしてもうひとつ、きゃくの入らない古いしばいを教えました。「とうげのあかり」という、しずかなだしものです。「きゃくがひとりもこなくてもかまわん。年にいちどは、かならずぶたいにかけよ」
けしょうばこのふたのうらには、きえかけた字で、とうげのあかり、あまね、と書いてありました。たのきゅうは長いあいだ、それをしばいの名前だとばかり思っていました。ししょうに聞いてみたことは、いちどもありませんでした。
さて、その年のことです。国じゅうに、わるいはやりやまいが広がりました。高いねつが出て、子どもたちがおきあがれなくなるのです。ねつをさげるくすりになる草は、とうげのむこうの町にしかはえていません。けれども、五色とうげをこえてかえってきた人は、もう何年もいませんでした。
とうげには、ぬしがいると言われていました。日がくれてから足をふみいれた人は、にどと下りてこない。そう言いつたえられて、村の人たちは日のあるうちしか山に入らず、そのうちだれもこえなくなりました。東と西をつなぐたった一本の道は、草にうもれてしまったのです。
村のあつまりで、手をあげる人はひとりもいませんでした。しんとした中で、たのきゅうがすっと立ちあがりました。「わたしが行ってまいります」村の人たちはおどろきました。「おまえさんはやくしゃだろう。刀ももてまいに」たのきゅうはわらって言いました。「わたしはゆうかんではありません。けれど、ゆうかんな人になることなら、できます」
たのきゅうはけしょうばこと、たばこいれをふところにいれ、朝の早いうちに山へ入りました。それでもとうげの上につくころには、日がかたむいていました。すぎの木がまっすぐに立ちならび、あたりはもう夕がたの色です。いそがなければ、と思ったそのとき、風がぴたりとやみました。
木のはが鳴りません。鳥も鳴きません。虫の声も、ひとつもしないのです。しんとした中で、道のじめんだけが、ゆっくりとうねってうごいていました。たのきゅうは足を止め、目をこらしました。それはじめんではありませんでした。道いっぱいに、大きなうろこがならんでいたのです。つめたいいきが、ずっと上のほうから、たのきゅうの首すじにかかりました。
「そこにおるのは、だれじゃ?」ひくくて、うんと遠いところからひびいてくるような声でした。たのきゅうはこしがぬけそうになりながら、それでも名のりました。「た、たのきゅうともうします」しばらく間があって、声が言いました。「ほう。たぬきか?」
たのきゅうは口をあけかけて、そのままとじました。ちがいます、と言いかけて、言わなかったのです。ししょうのことばが、耳のおくで鳴りました。にげるより、なってごらん。「さようでございます」たのきゅうはふかく頭をさげました。「山にすむ、古だぬきでございます」
「ならば、ばけてみせよ」大きなかげが言いました。「わしは長いこと、人のかたちを見ておらぬ」たのきゅうはすぎの木のねもとにこしを下ろし、けしょうばこをあけました。手がふるえて、べにがうまくのりません。それでもいきをととのえ、せを丸め、声を細くして、こしのまがったおばあさんになりました。「もし。たびのお方。ゆがわいておりますよ。あがってお休みなされ」
かげが、ぴくりとうごきました。うろこのあいだから、大きな目がひとつ、たのきゅうをのぞきこみました。その目に、水がもりあがっていきます。「もうよい」と声が言いました。「もうよい。やめてくれ」たのきゅうはおしろいをぬぐって、そっとたずねました。「どうか、なさいましたか?」
「わしのこわいものを、教えてやろう」ぬしは言いました。「こばんじゃ。金の光を見ると、うろこのおくがちりちりとして、じっとしておられぬ」それからぬしは、たずねかえしました。「おまえのこわいものは、何じゃ?」たのきゅうは、そこでしばいをうちました。ほんとうは高いところと犬がこわいのですが、そうはもうしません。「わたしがこわいのは、こばんでございます。あれを見ると、しっぽが出てしまいます」
「そうか」ぬしは、ふうっと長いいきをつきました。すると、山の上のほうから、ざらざらと音を立てて、こばんがふってきました。ひとつ、ふたつ、やがて雨のように。たのきゅうは頭をかかえて、こわがるふりをしました。けれども、足もとにおちた一まいをひろって、はっとしました。どれも古くて、黒ずんで、風と雨にさらされていたのです。ずっとむかしに、たびの人たちが道におとしていったものでした。
「はようおりろ」と、ぬしが言いました。「こばんはくれてやる。にどと、日のくれてからくるな。この山は、夜になると道がきえる。谷が口をあける。おまえたちの目には、見えぬのだ」たのきゅうは、ふところのたばこいれに手をかけました。たばこのやにをへびがきらうことを、たのきゅうは知っていたのです。けれども、その手を、そっと下ろしました。
おいはらおうとしていたのは、ぬしのほうだったと気づいたからです。とうげを通してはならぬ、けれど、食おうとしているのでもない。この大きなかげは、ずっと、だれかをおいかえしつづけていたのです。たのきゅうはふりつもったこばんの上にすわり直して、言いました。「もうひとつだけ、やってもよろしいですか?」「もうよい」「これで、しまいにいたします」
たのきゅうはけしょうばこをあけ、きゃくの入らない古いだしものを、たったひとりではじめました。それはこんな話です。むかし、このとうげにはいっけんのちゃやがあり、わかいむすめがひとりでゆをわかしていた。大雪の年、山にとりのこされた人たちのために、むすめはひとばんじゅう、おもてにあかりをともしつづけた。朝になって雪がやんだとき、あかりはきえておらず、むすめのすがただけがどこにもなかった。村の年よりしかおぼえていない、しずかなしばいでした。
たのきゅうがむすめの声で「こちらです。あかりのほうへ」とよんだとき、とうげじゅうのうろこが、いっせいに鳴りました。大きな体が、ぶるぶるとふるえています。「その名を」ぬしがうめきました。「そのしばいの、むすめの名をもうせ」たのきゅうはけしょうばこのふたをうらがえし、きえかけた字を、はっきりと読みあげました。「あまね。あまね、ともうします」
とうげじゅうの木が、いっせいにざわめきました。うろこが、一まい、また一まいと、はがれておちていきます。おちたうろこは、地にふれたところから、白い花になりました。長い長い体がだんだん小さくなり、やがてすぎの木のねもとに、ひとりのむすめがすわっていました。
「わたしは、まっていたのです」とむすめは言いました。「あの雪のばん、あかりまでたどりつけなかったたびの人が、ひとりおりました。わたしはその人を見つけられなかった。それがくやしくて、山を下りられなくなりました。だれも通さなければ、だれもうしなわずにすむと思ったのです。けれど、そのせいで、この道はふさがってしまいました」
たのきゅうは、そっと首をふりました。「そのたびの人なら、山を下りております」あまねが顔をあげました。「わたしのししょうでございます。わかいころ五色とうげで大雪にあい、遠くにあかりを見つけて、それをたよりに歩いてたすかったともうしておりました。ししょうはそのばんのことをしばいにして、きゃくがひとりもこなくても、毎年かならずぶたいにかけていました。あなたをおぼえていてほしかったのだと思います」
あまねは顔をおおって、長いあいだ、そのままでいました。東の空がしらみはじめたころ、雨が、ぽつり、ぽつりとおちてきました。何年ぶりかの、やわらかい雨でした。あまねは立ちあがり、とうげの上から谷を見わたして、言いました。「もう、だれもおいかえしません。あかりをともします。帰れと言うためではなく、こちらへおいでと言うために」
たのきゅうはとうげをこえて、くすりになる草を手にいれ、あまねと二人で村へ帰りました。子どもたちのねつは、ひとりずつさがっていきました。こばんはくすりと米にかわり、五色とうげの道はもういちどひらかれました。とうげの上にはちゃやが立ち、日がくれるとのきにあかりがともります。たびの人はそこでゆをもらい、体をあたためてから、ゆっくり山を下りるのです。
五色とうげでは、いまでも日がくれると、小さなあかりがひとつともるそうです。こわいと思っていたものが、ほんとうはだれかをまもろうとしていた。そういうことが、ときどきあるのです。あなたのねむるへやのくらいところにも、おそろしいものはおりません。まくらのそばに、あたたかいあかりがひとつ。ゆっくりいきをして、おやすみ。